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19世紀のフランス第二共和制と現在2008年の日本

5月1、2日に共同通信が実施した緊急電話世論調査で、福田内閣の支持率が19.8パーセントに下落した。4月の前回調査と比較して、6.8ポイントも急落している。他方、内閣不支持率は、66.6パーセントで、10.0ポイントも急上昇している。通常の民主主義国で、政権支持率が20パーセントを下がると危険水域で、いつ政権が崩壊してもおかしくない。共同通信も、「内閣支持率が20パーセントを下回ったのは、森内閣以来で、危機的水準といえる」(5月2日)と論評している。

この共同通信の論評に、「日本で、国際基準の民主主義が機能しているならば」という留保をつけたうえで、「危機的水準といえる」とすべきと思う。民主主義は、「代表される者」と「代表を送り出す者」の利害が一致しているという了解のもとで成り立っている。しかし、両者の利害が必ずしも一致するとは限らない。

napo.jpeg 19世紀のフランス第二共和制では、当時、もっとも進んだ民主的議会制度が導入されていた。下層である分割地農民にも投票権が与えられた。しかし、貧しい分割地農民の利害を代表する政党がない。そのため、農民は、ナポレオンの甥であるという触れ込みで、政治的に何の実績もないナポレオン3世に投票した。
ナポレオンは、大統領に当選した後、議会を廃止し、帝政を復活し、圧政で分割地農民を苦しめた。分割地農民は、自分で自分の首を絞めるよな状況を作り出したのである。
民主的選挙が非民主的結果をもたらすことをマルクスは『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』という評論で、見事に描き出した。この評論は、「歴史は繰り返す。一度目は悲劇として、二度目は悲喜劇として」という名文句で始まっている。

2001年の小泉純一郎・田中真紀子旋風も、ナポレオン3世現象の反復と考えている。圧倒的大多数のサラリーパーソン、家庭の主婦にとって、自らの利害を代表する政党はない。そのような状況で、閉塞状況の打破と明るい未来を築く「改革」というイメージ操作に成功したこの2人は現代のナポレオン3世だった。しかし、イメージ操作は実体を伴わない。新自由主義政策のため、改革から5年後の2006年には、国税庁の統計でも年収200万円以下の給与所得者が1000万人を超えるという貧困社会を招いてしまった。これは、社会構造上の貧困で、「スベリ台」のように一度、下に落ちると、はいあがるのはきわめて困難になる。小泉政権時代のツケが福田政権に回ってきているのだ。

このような状況で、国民心理に政治に対する根源的あきらめが刷り込まれているのだと思う。それだから、内閣支持率が20パーセントを切っても、「あっ、そう」という感じで、「われわれの代表を国会に送り出さなくては……」という強い思いをもたないのである。

国家の実体は、官僚である。国民の政治的関心が低くなるということは、官僚にとって、監視や統制が弱まるということにほぼ等しい。内閣支持率が低く、与党が政局運営に腐心し、国家の政策に従事する余裕がない状況で、官僚は国家を恣意的に運営することが可能になる。また、国民の支持率が低いことは、霞が関(中央官庁)の官僚にとって、必ずしも悪いことではない。この事情が新聞報道からはよく見えてこない。

by   at 11:35
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