この人 第二回 女優 稲森 いずみ
稲森 いずみ(いなもり いずみ、本名:稲森泉、1972年3 月19日 - )
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バーニングプロダクション所属。鹿児島県鹿児島市・伊集院町出身。鹿児島市立天保山中学校(アナウンサーの近藤久美子と同級生)、鹿児島高等学校(政治家の徳田毅と同級生)卒業。テキサス大学アーリントン校(ESL)に留学。
1991 年5月、叔母に勧められて地元・鹿児島高等学校の卒業後、アメリカのテキサス大学アーリントン校に語学留学。
1992 年10月、両親に呼び戻されて1年半の留学生活を終え、帰国。同時に、「モデルをやりたい」という自らの意思で東京の大手モデルプロダクション・エリートフォリオと契約。契約直後から、地元の鹿児島で本格的にモデル活動を始め、雑誌でも度々掲載される。
1994 年、前事務所「エリートフォリオ」より2年あまりの契約で現在のバーニングプロダクション移籍。『上を向いて歩こう!』で念願の女優デビュー・連続ドラマ初出演を果たし、注目される。デビュー作以後、数え切れないほどの雑誌のインタビューを受け、この効果からか、フジテレビビジュアルクイーンに輝き、『Fiction』では水着姿を披露するなど様々な撮影にも挑んだ。
1995 年、日本テレビの『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』でバラエティー番組に初出演。番組では「勇気を出して初めての告白」のコーナーで、「プロポーズをされて断った」という内容であった。
1998 年、『ハッピーマニア』で地上波ドラマ初主演。
人物
家族構成は、両親・弟・祖母の5人。「泉」という名前の由来は、何時までも美しく育って欲しいという両親の願いでこの名前がつけられた。また、ひらがなに直した理由は、その方がやわらかい感じがすると考えたため。
小学4年生から始めた剣道(薩摩示現流初段を有している)と、テキサス大学への留学とで積極性とポジティブ・シンキングを身に付けたと自身は語っている。その性格から、上京した際にはタウンページで調べたモデルクラブに片っ端から電話をかけて面接を受けたというエピソードも生まれている。また、女優に転身する際にも再びタウンページで芸能プロダクションを調べ、現在の所属先であるバーニング・プロダクションに飛び込みで面接を受けに行って採用されるに至る。本人から直接売り込みを受けたことは同社始まって以来の出来事だったという。
1994 年に、フジテレビビジュアルクイーンの受賞後、『Fiction』というタイトルでビデオを販売していた。
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ブレイク前は、ヒロインの恋敵か悪女役を演じることが多かった。(『29歳のクリスマス』では仲村トオルを巡り山口智子と激しいバトルを繰り広げる役を演じ、『オンリー・ユー~愛されて~』では鈴木京香に嫌がらせをするモデル役)。しかし、その後は一風変わって『ロングバケーション』や『ハッピーマニア』といった、明るい天然キャラを演じるのが多くなる。
剣道を習い始めた理由は、元々喉が弱く、隣のお兄ちゃんが剣道をしていて体験した所、面白くて嵌ったらしい。しかし、女子が少なく一人で休憩時間を過ごしていたときもあった。また、テレビ番組でも剣道の腕前を披露したこともある。
昔、「稲森いずみのシークレットライブ」と題し、ギターをモト冬樹が、作曲は河村隆一、作詞は稲森いずみ本人というメンバーで「For myself」というタイトルで披露していたことがある。青山でライブは行われた。しかし、ネットの限定募集で30人位しか入場できなかった。
バラエティ番組に出演するとき、セオリーを無視するマイペースさと大胆さを披露することがある『『ぷっ』すま』出演時、レギュラーのユースケ・サンタマリアと草彅剛が、江頭2:50と共に狭い部屋に押し込まれ、江頭に唾液を吐きかけられる等の罰ゲームを受け、二人が「エガちゃん嫌い」と声をそろえる中、稲森が「好き~」コメントしたことで、罰ゲームとしてではなく本人の希望で、江頭のいる部屋に入ることに。全く動じる様子の無い稲森とは逆に、女優と密室に二人きりにされて、江頭は罰ゲーム執行人という立場を忘れ、すっかり狼狽していた。
このようなPLAYは、他の番組でも垣間見ることができる。また『浜ちゃんと』に出演した際には、浜田雅功と共にアスレチックのテーマパークに出かけ、浜田が怖気づいて挑戦しなかったアスレチックに周囲の心配をよそに自ら挑み、案の定、池に落水するというハプニングが起きた。これには浜田も、女優として見せてはいけない失態を演じさせてしまったと動揺気味だったが、本人にはNG映像という意識も特に無い様子であった。
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積極的な女性は日本には少ない。鹿児島気質というのもあるのかな? こういう人は成功する。
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